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(転載)責任感を改めて考えましょう

人生を考えた時に、どんな生き方があるか?
簡単に分類すると、こんな感じになります。

自他共に良し。
他人良し自分悪し。
自分良し他人悪し。
自他共に悪し。

良し悪しを嬉しいと悲しいとか、栄えると滅びるとか、幸せと不幸せとか、信頼と不信とか、対になる言葉に入れ替えて見れば、この4つに別けられる事が判ります。
自他共に良しとは、中々あり得ない事で、少しでも互いに不満があれば、簡単に自他共に悪しになってしまいます。
そう、自他共に良しとは、人生の理想だとも言える状況なのだと思います。
勿論、その時々に、この4つは絡みあって、人生は作られていきますが、瞬間的にこの自他共に良しは達成されていても、中々それは持続しません。
私が絶対善や絶対悪を否定して考えるのも、実は原点にこの自他共に良しの存在が、如何に少ないのかという認識と、それが如何に持続しにくいかという事に思い至ったからでした。

大きな話をすれば、大震災は大悪事です。
しかし、地球が活動しているからでもありますから、人類(生物)の存続という観点では、不謹慎ではありますが、その存続が確認されたという意味で、これは大慶事でもあります。(これは、大震災の被害を喜ぶという事ではありません。念のため)
難関校に合格した。
これも慶事ではありますが、その陰には不合格者の涙があります。

当事者に取っては慶事でも、それ以外の関連者には悲しみや悔しさという事など、世の中にはありふれています。

このように考えますと、泥棒にも3分の利。という言葉にも、一理があると思わされます。
だから、絶対的な善悪はこの世に存在せず、善悪一如=善の中に悪も存在し、悪の中に善も存在するという考えになりました。

そんな私の観点から、他人良し自分悪しという事を、少し書いてみます。

これは簡潔に言えば、自己犠牲の心だともいえます。
親子や夫婦、友人や仲間、この自己犠牲の心は、様々な場合に見受けられます。
職業で言えば、軍人に警察官、消防士という事になります。(場合によっては医師や看護師も)

この自己犠牲の精神は、私達の心を強く打つ性質があり、東日本大震災の時に、最後まで避難を呼び掛けて亡くなったあの女性職員や警察官、消防団員の方など、記憶に鮮やかです。

この自己犠牲の精神を組織化したのが、徴兵制であり、その心の組織化が愛国心である。そう言えるかも知れません。

自己犠牲を強いるという事については、否定する方は多いと思いますし、私も自己犠牲を強いるのは嫌ですし、そんな政権があったら強い嫌悪を覚えます。
ただ、沢山の犠牲者を出した大東亜戦争でも、自己犠牲を強いられた人達の、様々な葛藤の末に、導きだされたであろう心は、何となく理解できます。

それは『責任感』という事ではないでしょうか?

この責任感という言葉・認識については、個々人の考え方は、様々に別れるかも知れません。
が、少なくても私達は、地球の日本という国に生まれています。
地球の環境を守る、日本の国を守る、生活を守る。
これらの全てが、責任感とイコールだと私は考えるのです。
地球という環境を、日本という国を、平和な生活を、私達は次の世代に引き継がなくてはなりません。
そう、2度と原発の事故等も無く、地球の環境も汚さずに引き継ぐ責任がある訳です。
私の敬愛する『阿南陸軍大臣』は、『勇怯の差は小さく責任感の差は大きい』という言葉を残しました。
私は、徴兵制で戦場に送られた人達も、最後にはこの責任感に行き着いたのだと思うのです。

戦うか戦う事を拒否するかという、ギリギリの選択として、責任感から戦う事を選んだ私達の祖先。
私達は、この祖先達の心の選択について、どのように考えるべきでしょうか?

現代の大企業の経営者は、簡単にリストラを行いますし、政治家は自己保身を計り簡単に国益を無視して、恥じる事がありません。
これらは全て、責任感の欠如からだと思います。(リストラは会社の存続=雇用を守るという一面は確かに存在しますが、物言う株主の登場から、企業は先行投資としての研究や開発に成果主義を取り入れ、それがリストラの遠因になっている気がします)

ただ、注意すべきなのは、自己犠牲の心とは、どうしてもヒロイズムに繋がり易くなりますが、このヒロイズムに陥った時には、その段階で、実は他人悪し自分良しなのだと認識しなくてはなりません。
私の考えでは、ヒロイズムとは自己犠牲の中に、自己顕示欲を含むからです。

真に胸を打つ、あの大震災の、避難を呼び掛けて亡くなった女性職員や警察官、消防団員の方達は、職責に対する責任感はあっても、ヒロイズムは無かったと私は確信致します。

私は、かってお話した戦友会のお客様の言葉を、いまでも思い出します。
『天皇陛下万歳』と『万歳』は同じなのですか?という私の問いかけに、ほとんど同じだと思うとの返事がありました。
何故、万歳と言って玉砕したのでしょう?
万歳は、様々な意味が入っているんだと思うよ。天皇陛下万歳だと、故郷とそれに繋がる人間かなぁ。万歳だとそこに足して、後を頼むとか、そっちの意味が強くなるのかな?
この方は、玉砕戦は戦っていませんから、これはこの方の推測の言葉ですが、私は何となく納得した気になったのです。
万歳の言葉の中に、愛惜の情のある事も判りますし、やれる事はやったか、やれる事はもう無いも含まれる事でしょう。
そして、その根底にあるのは責任感だと私には思えたのです。

ヒロイズムに取り付かれた人は、軍規を逸脱してしまう人が多かったという話も、私には何となく納得できました。
ヤクザやさんもヤンチャ青年も、ヒロイズムがあり、行動も基本的には自己中だと言えます。(他人に優しくした時でも、そんな自分に酔う感じがありますから、やはりヒロイズムと言えるでしょう。)

自分良し他人悪しや、自他共に悪しなどは、ここでワザワザ書くまでもありません。
とすると、ポイントは責任感という事になりそうです。
そして、その責任感とは、自己啓発にも職業意識の形成(プロ意識)にも必要な事なのが判ります。
自己犠牲の中にある責任感を考える事で、私達の世界はかなり住み良くなるのだと私は思います。
責任感という事を考え尽くし、それを生かす事も考え尽くす事。
これが私の結論でした。

責任という事に対する考え方も、人それぞれですが、その責任をどう果たすのかという責任感も、考え方は様々です。

私は、愛国心の教育や道徳の教育より、責任と責任感を考えさせる事こそが、人間形成の核になると思えます。
ただし、その責任と責任感を考えさせた結果を、肯定や否定はしない事が肝要だと思うのです。
肯定や否定は押し付けに繋がりますから、それをどう実行するかを考えさせ、それを実行するようにねで終わるのが良いと、私はそう考えます。

責任感とその実行。

私は、愛を知るにはこれが一番だと思うのです。

mixiユーザーの日記から転載しました
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965980004&owner_id=44024462


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